「糸のみほとけ」展。その展覧会を知ってから一体、刺繍で表わされた仏さまとはどんなものなのだろう。と気になっていた。
最近は仕事やらなんやかんやで忙しくてなかなか自分の趣味の時間がとれずにいた。やっとその多忙さも落ち着いてきたような気がする7月下旬、最高のパートナー仏友さんと「糸のみほとけ」展に行けることになった。
会場の入り口がいつもと違う!通常出口の所が今回は入口となっていた。なんだなんだ、なんか気合の入れようが普段と違うような気がする。そこから余計に期待が高まる。
第一章は飛鳥時代。入ってすぐ、いきなりの中宮寺・天寿国繡帳がお出迎え。
展覧会のチラシにも載っていた、気になっていた繡仏。…かわいい!色鮮やかで細かくてそれぞれのキャラ?が個性的で。特に亀!亀の甲羅に「人間部」って書いてある。これもずっと気になっていた。人間部とは…一体?否応なしにも想像を掻き立てられる。人間部に入りたい、そして一緒に部活動をしたい。誰と?!
そして第二章へ。これだ、これが見たかったんだ!當麻寺・綴織當麻曼荼羅。中将姫!あなたはこの大作を一夜で織り上げたのですか!?すごいです、とにかくすごいです!想いがハンパありません!
鳥肌が立つほどの圧倒感。こんなにデカい織物、大迫力で何か押し迫ってくるものがある。人間の想い、欲情、恨み辛み、そして願い。どれだけの想いでこのとてつもない曼荼羅を織り上げたのだろう。そこには魂が宿っていて現世の私達に訴えかけてくるものが痛いほどに伝わる。その様を見てどこか男性的ではなく女性的なものを一緒に来た仏友さんと感じていた。
もしかして繡仏って女の想いが強い仏さまなのかな…。仏像や仏画。そことは違う一針一針の想い。だって、下絵を描いた上からわざわざ糸を施してあるんだよ?なんか女の念みたいなものを感じてちょっと怖くなってきていた。
第三章、そして第四章へ。来た、髪の毛キター!!繡仏に見慣れてきた私たちは糸の黒いところに目が行くようになる。その章から人の毛髪を繡い込んだ繡仏の掛軸が登場してきた。コレなんだろね、あっ髪の毛だね。もっと怖くなってくる。あぁそういえば中将姫も自分の髪の毛を糸にして刺繍していたとかなんとか…。コレか。このパターン来たか。
もう、黒いところは髪の毛にしか見えない。繡仏に髪の毛を縫いこむってどういうこと!?自分の髪の毛?それとも誰かの髪の毛なの?!一体誰の髪の毛なのか何のためにわざわざ髪を糸にしているのか気になって仕方がなくなる。仏友さんとあれやこれやと独自の見解を示しながら繡仏を進む。
第五章の中国の繡仏を見てちょっとほっこりする。中国人の自由な感性とユーモア、そして楽しそうな仏さまの世界観が伝わってくる。
途中、刺繡と綴織の技法コーナーがあってここはライトな感覚で見れるので今までのヘビーな世界の息抜きになるのでぜひ寄った方がいい。
第七章。髪の毛三昧。もうここまで来ると髪の毛に見慣れてしまって黒い糸=髪の毛で動じなくなる。これも髪の毛あれも髪の毛。ディス、ディス、ディスイズヘア。
ただちょっと怖いと思っていた毛髪を縫いこんだ繡仏。そこには深い想いがあることをこの章で知った。亡くなった方の毛髪を縫込み、弔っている。亡くなった方を想い、せめて髪の毛でも取って置き、祈りたい。その髪の毛は腐ることなく現代の私たちも拝むことができています。その想い、悲しさ、切なさ、溢れ出る愛しさ、繡仏から伝わってきていますよ。
圧巻の3時間。一つ一つじっくり見るにはもっと時間がかかるかも知れません。長い月日を経て今私たちの目の前に現れてくださった見事な繡仏の数々。奈良国立博物館の方々に感謝の思いしかありません。よくぞこんなにも全国各地から繡仏をお集めになりましたね!見どころいっぱい、お腹いっぱいです!ありがとうございました。
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