一つ年をとりました。いい歳です。

おはようございます。こんにちは!

台風も過ぎ去って一段落…と思ったらまた雨。そして今週末もあやしい…。どうか降らないでください!!鞄の撮影があるんです!どうか雨だけはご勘弁を。

というわけで昨日感じた個人的なお話しを一つ。コナランアカウントとは別に個人でやっているインスタグラムがあるのですが、そこでフォローをさせてもらっている仏師さんがいらっしゃいます。いつも「なるほどなー」と思う文章を書いていらして昨日その方の投稿を見て感動しました。

詳しく載せてしまうと引用みたいになって何か法に触れてしまうかもしれないので、ざっくりと書かせてもらいます。

人として生まれてくるのはすごい確率、というような事をおっしゃっていました。なんかよくわかりませんね、すいません。要は“人間”としてこの世に生を授かるのはものすごい天文学的な確率で奇跡的なこと、ということらしいです。

確かに、この世には様々な生物が暮らしていますよね。アリさんやお花、お魚にお野菜、猫に犬に…数えるのは到底無理ですね(笑)その中に人間がいて。私が人して生まれなかったとしたら一体何になっていたんだろう。もしかしたら何にもならないでただの“無”だったのかもしれませんね。それは逆にいいことなのか何なのか。でも私はこうして人として生まれてこれて本当に良かったと思っています。嫌なことも辛いこともしんどいこともたくさんありますが、人間に生まれてこれたことだけで超奇跡的なことだ!なんて、素晴らしすぎますよね?!

だったら辛いことも嫌なことも“人間”として生まれたからこそ味わえる感情なんだな、と思うと全てが有難いことで一つも無駄なことはなくて、ただこうして息をして大地に立っているだけで幸せなことなんだと、噛みしめることができました。

昨日、一つ年をとったので余計にそう感じたのかもしれません。人として生まれてくるのが奇跡なら、また誰かと誰かが出会うのもまたすごい奇跡。奇跡の上に成り立っている奇跡。もうなんかよくわかりません。人に生まれ人に出会う。そのご縁もすごいもの。大切にしないといけませんね。

皆が皆、奇跡の人なんですね。争い事はやめて、皆で称えあいたいですね。お互い奇跡的に生まれてきてくれてありがとう、と。一緒にいてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。産んでくれてありがとう。

来世は何に生まれるんだろう。“無”だと寂しいなぁ。

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